特集
2022.11.09
死なないために。心の穴を埋める言葉をいつも探してる
「保険」という言葉に、あなたはどんなイメージを抱いていますか?
人生という冒険を歩んでいく上で、リスクを恐れず立ち向かうこと、そして万が一に備えて「保険」をかけることは重要です。各業界のトップランナーがいかにしてリスクと向き合ってきたのかを語る本企画。彼らの自由な発想が、あなたに合った保険との付き合い方を見つける一助になるかもしれません。
文筆家・土門蘭さんにとっては、「文章を書いて食っていくこと、それ自体が冒険だった」といいます。
大学を卒業して最初に手にした職は、書く仕事とは近そうで遠い、出版社の営業職。そこから独立し、筆一本でお金を稼げるようになるまでの道程が冒険だったといえますし、なんの後ろ盾なく「書いて、生きている」ことが、現在進行形の冒険ともいえるでしょう。
一方で土門さんは、書くことによって幾度となく、人生の窮地から救われてきた人でもあるようです。
詳しくは本編に譲りますが、「窮地」というのはなにも大げさでなく、まさに生きるか死ぬかの窮地です。「それがなければ死んでいた」とまで言う土門さんはしかし、今なお生きている。土門さんにとっての書くことは、冒険であると同時に、いくつかの意味で保険としても機能してきたようなのです。
そんな土門さんが2019年10月に著した小説『戦争と五人の女』は、終戦直後の日本のとある町を舞台に、主に娼婦として生計を立てる5人の女性が、戦争という理不尽な暴力に翻弄されながら生きる姿を描いた作品です。
この小説には本、文字、言葉といったものが印象的に登場し、5人の「女」は、それぞれ違うスタンスでそれらを用いて、世界との関係を結びます。まるで書くこと、言葉を紡ぐことが、生きる上でどのように保険として機能し得るか(あるいは、その欠落がどれだけ生きることを難しくさせるのか)を示しているようにも読めるのです。
今回は土門さんの個人的なお話を伺うことを通じて、人生におけるリスクとの向き合い方、そして書くことが私たちにとってどのような意味を持つのかについて、考えをめぐらせていきたいと思います。
先の見えない仕事。20代にして「人生詰んだ」
--『戦争と五人の女』、面白かったです。いや、「面白かった」という感想がふさわしくないような重いテーマですし、土門さんご自身の生い立ちと重なる部分もあるのかなと感じました。これはどのようにして生まれた作品なのでしょうか?
最初にテーマがありました。始まりは、担当編集の柳下さん(柳下恭平さん。株式会社鴎来堂、かもめブックス代表)に「なにが書きたい?」と聞かれて、「ファンタジーとしての『従軍慰安婦』の物語が書きたい」と答えたところから。
私の母は韓国人だから、従軍慰安婦というテーマがどこか身近で。母は広島県の呉市でスナックをやっていて、自衛隊さんがお客さんとしてよく来ていたので、そこにはなんとなく戦争の匂いがしていました。幼い頃から女の顔をして仕事をする母をずっと見て育ったので、母というものがまず、強烈なモチーフとしてありました。
これまでに書いた作品では、どれも母のことばかり書いてきました。ただ、せっかく編集者についてもらえるのであれば、もっと大きなテーマに触れられないか。そう考えた時に、女と男について突き詰めて書きたい、その装置として「戦争」というテーマを組み込めないかと思ったんです。それに柳下さんが賛同してくれて。
この作品に登場する5人の「女」は、年齢も国籍も言語も性的指向も違います。そういうバラバラの「女」が、同じ一つの土地でドラマを繰り広げるみたいなことはできないか、みたいなところから、少しずつ書き進めていきました。
--この作品には本、文字、言葉といったものが印象的に登場し、5人の「女」はそれぞれのスタンスでそれらを用いて、世界と関係を結びます。このあたりが今回の取材のテーマである、土門さんにとっての冒険と保険と通じるところがあるやもと思ったのですが。
私にとっての冒険と保険……。まあ、文章で食っていくぞ、というのが冒険だったのかなあ。
文章を書くことは、子供のころからしていました。誰に見せるでもない散文も、小説みたいなものも。書くということが大好きだったんです。ただ、それをどのようにアウトプットすれば社会に参加できるのか、どうすれば大好きな書くことを仕事にできるのかが、ずっとわからないでいました。
「とりあえず出版社に入れば近い仕事ができるかな」と思って就職するのですが、配属されたのは営業職で。これがもう、全然向いていなかった。
--文章を書くのと、それを売るのでは、まったく違う仕事ですものね。
本当にその通りで、周りの方に支えられながらも、「自分には全然向いていない」という思いが拭えないまま、毎日必死に働いて。5年ほど経ったところで「だったら自分で作ったらいいのでは?」と思い立ち、友人と2人で立ち上げたのが、フリーペーパーの「音読(おとよみ)」でした。
友人が編集長兼デザイナーで、私がライター。仕事ではないからそれでお金がもらえるわけではないんですけど。とにかくアウトプット先を作りたいという一心でした。
並行して小説も書き続けていて、文学新人賞で最終選考まで行ったりもしたのですが、受賞には至らず。コテンパンに選評されて、それ以降は最終までも残れなくなって。「あれ? 一向に書くことを仕事にできないぞ?」と焦りが募っていった。
SNSで目にする友人たちのキャリアが順風満帆に映る一方で、私自身は、仮に今の仕事を辞めたとしても、残るのはまったく向いていない営業のキャリアだけ。この時点ですでに養っていかなければならない子供もいたし、産後うつが重なったこともあって、20代後半にして「ああ、詰んだな」と思っちゃったんですよね。
今にして思えば、人生なんてまだまだこれからなんですけど。それくらい思い詰めていました。
掛け捨てのような時間の使い方はやめにしよう
--そこからどうやって再起を?
この先どうしようかと思っていた時に、フリーペーパーを一緒に立ち上げた友人が経営しているウェブ制作会社で雇ってもらったんです。少人数の会社で、未経験者を雇う余裕なんてないことはわかっていたんですけど。半ば押しかけるかたちで入れてもらいました。
といっても、その時点ではメールを書いたことも、パソコンで仕事をしたことさえもないから、すべてゼロからの勉強で。みんなが気持ちよく働けるよう、雑用とかお茶汲みも率先してやって。そうこうしているうちに、簡単なライティングの仕事をもらえるようになったんです。
それがすごく楽しかった。「ああ、これがやりたかった仕事やな」って。やっぱり書くことがすごく好きだし、数千円でも売り上げが上がると、めっちゃ嬉しかった。
で、30歳になった時に、なんでか知らないけど「一生書いていければ、もうそれでいいや」と思えたんですよね。人から認められなくてもいい。お金を稼げなくても関係ない。自分が好きな書くことを一生やっていこうと決めたんです。
おそらくそれは、フリーペーパーを定期購読してくれる人なんかも現れたことで、「ああ、私の書いたもの、読んでもらえてるんだ」「ちゃんと誰かに届いてるんだ」という実感が、ちょっとずつでも積み重なっていったからなんだと思う。だからそれで十分だと思えたのかなと。
書いた文章が柳下さんの目に留まったのは、そんなタイミングでした。「君は小説が書けると思う。僕が編集につくから、一緒に小説を書かないか」と言われるのだから、人生って不思議。そこから独立して、今に至るという感じです。
--書いていたから、見つけてもらえた。自分が書いたものが窮地の自分を救う、ある種の保険として機能したとも言えるわけですよね。
そうかもしれません。
「文章を書く仕事がしたい」と言いながらも、目の前の仕事でいっぱいになって、一番大事な「書くこと」を後回しにしていた期間って、まるで「掛け捨て」のようだなって思っていたんですよ。
--掛け捨て。
掛け捨て保険って、安い掛け金で保障が受けられる一方で、掛けたお金はどんどん消えていくでしょう? 一方で積み立て保険は、掛け金は高いけれど貯蓄されていく。私たちにとっての時間も同じではないかと思ったんです。当面の安心やお金を得るために掛け捨てのように時間を使っていったら、後にはなにも残らないなって。
掛け捨てには掛け捨ての良さももちろんあるけれど、私はそれがめっちゃ怖かった。20代後半の、気づいたときには自分が望んでいたキャリアがまったく積まれていなかった、というのは、まさにそういう状態で。
だから、「もっと未来に積み立てられるように生きよう」と思って始めたのが、フリーペーパーでした。
それでお給料はもらえなくても、「君はなにしてきたの?」と聞かれた時に、「これをしてきました」と出せるものがある。どんなに大変でしんどくても、ポートフォリオのように積み上がっていく時間の使い方には、後悔がないのではないかと思ったんです。
結局、仕事の依頼って、やった仕事に対してしか来ないじゃないですか。そう考えたら、やりたい仕事があるのであれば、今の仕事をどうにかしてやりたい仕事に近づける以外にない。
例えば、私は小説やエッセイの仕事以外にインタビューの仕事もしていますけど、自分の名前で、作家性の強いものを書きたいのであれば、インタビューの仕事でも作家性を出すしかない。そういうことを考えて、ここまでやってきたような気がします。
死なないために。心の穴を埋める言葉をいつも探してる
--ここで少し時間を遡って、そもそも文章を書くようになったきっかけは?
先ほども触れたように、私の母は韓国人で、出稼ぎで日本にやってきたのが30歳の時。だから当時は日本語が全然喋れなかったんです。私が小学生になるころにはもう、母の言語能力を超えていました。
学校で配られるプリントなんかも、全部私が噛み砕いて説明していたくらいで。ちょっと複雑なことを伝えようとすると、すぐに「わからない」と言われてしまう。
一方の父も溶接工なので、耳が遠いから、こちらがなにか言っても聞こえないことがある。一人っ子でしたし、モヤモヤした気持ちがあっても、誰にも打ち明けられないところがありました。
だから、そうしたものをすべて、紙に書き始めたんです。そこから、1日の終わりには必ず日記を書かないと眠れない、というくらいに習慣になっていった。
それが自分なりの心の整理の仕方だったのかな。唯一そこだけは、なにを書いても「わからない」と言われなかったから。そうやって書き始めたのが、小学生の頃だったと思います。
--以来、ずっと書き続けている。
なんというか、自分の中にずっと解決できないものがあるんですよね。心にぽっかりと穴が空いているというか。10歳のころからほんの数年前まで、ほぼ毎日、「死にたい」という気持ちがずっと続いていたんです。
毎日毎日、ふとした瞬間に「死にたい」と思ってしまう。でも同時に「死んではいけない」とも思っている。死なないように、死なないように生きてきました。
子供もいるし、あまり「死にたい、死にたい」と思っているのもよくないよなと思って、3年前に心療内科へ行ったら、速攻で「鬱です。脳の病気です」と言われて。普通の人はそんなに何十年も、毎日死にたいなんて思いませんよって。
それで、出された薬が3種類。考えることを止める薬。思い出すことを止める薬。もう一つは、睡眠導入剤だったかな。でも、飲めなかったんですよ。「考えることも思い出すことも、書くのに必要なことじゃん!」と思ったら。飲んだら仕事ができなくなっちゃう。自分が自分でなくなってしまう。
だから代わりにカウンセリングを受け始めたんです。なぜ私は死にたいと思っているのかを知るために。そのカウンセリングの内容も、全部エッセイにして公開しているんですけど。
だから、なぜ私は死にたいのか、その謎を知ることが、私の書き続けるモチベーションなんだと思います。
--共感できるなんて簡単には言えないですが、生きている中で経験したあらゆることが糧になるのが、文章を書く仕事ではありますよね。その瞬間、瞬間はとても辛いでしょうけれど。
この間、平川克美さんにインタビューした時にも、そういうことをおっしゃっていました。平川さんが書き始めたのは60歳を過ぎてからだけれど、それまでの人生のすべてが取材だったと。
ただ、書かなかったらそれは取材にはならないわけですよね。私にとっては、書かなければ辛い思いは辛い思いのまま。書くことによって初めて、それが財産になっていく。
先ほどの「積立保険のように生きる」話にもつながりますけど、私には、これまでの人生のすべてを糧にしたいという気持ちがすごくあって。今は文章を書くことを仕事にしているから、どんな体験も財産にできている。
嫉妬、不安……そういうネガティブな感情すらも原稿になるというのは、私にとって本当に救いなんです。それがなかったら、絶望して、本当に死んでいたと思う。
自分自身を徹底して掘り下げて書く文芸作品もそうですけど、インタビューの仕事をしていても、泣いてしまったりするんです。それはやっぱり、その人の言葉をめちゃくちゃ欲しているんだと思う。読者云々ではなく、私自身が欲している。
その欲しかった言葉が聞けた時に、泣いてしまうんですよね。ああ、この言葉をいただけてよかったって。
--やっぱり保険っぽいですよね。書くことが、死なないための保険にもなっている。
うん、保険がリスクに瀕した時に助けてくれるものだとすると、書くこと、書いたものそれ自体が、私にとっての保険みたいなものかもしれません。
「マジでしんどいな」と思った時に死にたくならないための記事を、私はこれまでに何個も書いてきたから。いろんなかたちをとって、自分の欲している言葉をずっと記録してきた。それを読み返せば、きっと死なないで済むことがわかっているんです。
--実際に読み返すことも?
あります、あります。読み返して「なんていい記事なんやろう」と思う。だって、自分の欲しかった言葉だから。
インタビューして欲しかった言葉をいただいて、心の穴を埋めようとしても、それはすぐに枯渇してしまうんですよ。普通に生きているだけで。穴は全然埋まらない。
--穴は埋まらないんですね。
埋まらない。でもね、どうやっても埋まらないものだと気づいたことで、むしろ少し楽になったんです。
「あの時、めっちゃ嫌やった」「あの家はすごく寂しかった」、そういう気持ちを否定するのではなく。それがあった上で今の自分があるというように、カウンセラーさんと一緒に、自分の過去を捉え直す作業を行ってきました。
そうしたら、それまで毎日死にたいと思っていたのが、1、2週間に一度まで減ったんですよ。すごいでしょう?
もちろん、埋まらない穴は喉が乾いたら水を欲するように、依然として言葉を求め続けるんですけど。だから時折書いたものを読み返すことで、そこにいつも言葉を入れ直している。それでちょっと落ち着くみたいなことをずっと繰り返しているんだと思います。
取材・執筆:鈴木陸夫
撮影:小林直博
編集:Huuuu
WRITER’S PROFILE
Huuuu
Huuuuはローカル、インターネット、カルチャーに強い編集の会社です。 わかりやすい言葉や価値観に依存せず「わからない=好奇心」を大切に、コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に全国47都道府県を行脚中。 企業理念は「人生のわからない、を増やす」。