特集

2023.03.03

「海で生き残るために、自分を正しく把握する」海洋冒険家・八幡暁さんの保険論

「保険」という言葉に、あなたはどんなイメージを抱いていますか?
人生という冒険を歩んでいく上で、リスクを恐れず立ち向かうこと、そして万が一に備えて「保険」をかけることは重要です。各業界のトップランナーがいかにしてリスクと向き合ってきたのかを語る本企画。彼らの自由な発想が、あなたに合った保険との付き合い方を見つける一助になるかもしれません。

これまでの連載を通して伝えてきたさまざまな「保険論」。それらは常に、挑戦する人たちの試行錯誤から生まれていました。

連載の最終回ではその原点に立ち返り、過酷な自然に立ち向かい冒険する人にとっての「保険論」について探りたいと考えました。

今回は、海洋冒険家の八幡暁さんにお話を伺います。

八幡さんはシーカヤックで太平洋を1万キロ以上航海し、海と共に暮らす海外の人々に出会ってきました。後に『グレートシーマンプロジェクト』では、海と共に暮らす偉大な人々=グレートシーマンたちの生活と文化に触れるため、オーストラリア〜日本の間にある島々をシーカヤックで巡ってきました。

その豊富な航海の経験から、八幡さんがいかに海と向き合い、自らの身に降りかかるリスクに対応し続けてきたのかが伺い知れます。

インドネシア バリ島~モヨ島を航海した際の写真(2009年)

命の危険すらある環境に身を置き、自身の行動の一つひとつを精査しながら冒険してきた八幡さんは、保険とは「死なないための段取りをすること」だと語ります。

「死なないため」という言葉からは、過酷な環境におけるサバイバル術をイメージされるかもしれません。

しかし、八幡さんが語ってくれた考え方は、都市社会で生活する人々にとっても汎用性のある「保険論」でした。

海での保険は「死なないための段取り」をすること

――八幡さんは、時にはカヤックで数千キロという航路を冒険してきました。そんな八幡さんにとって、「保険」とはどういうものでしょう?

一般的な保険って、「何かあればお金で補償される」という仕組みですよね。それは、街ではお金があれば解決できる問題が多いから、成り立つ仕組みとも言える。でも、本来の保険って「死なないためにどうするか?」ということだと思うんです。

海の上では、リスクを侵すことと命を失うことが直結しています。だからこそ、より本質的で切実な「死なないための段取り」が保険になるんです

たとえば、いま向こうに見えている真鶴まで行くとしたら、どんな道具で、どうすれば辿り着くかわかりますか?

目的地まで死なずに行くためには、まず自分の肉体の性能を知らないといけないんです。それが把握できてないと、「どうなったら遭難するのか」もわからない。

だから、練習を通して自分の身体のパフォーマンスを徹底的に把握します。どのくらい漕ぎ続けると、どのくらいの疲労度があって、どのくらい休めば回復するのか。

――自分のパフォーマンスを正しく把握することが、リスクを把握することに繋がる?

そうです。しかも、相手にするのは自然ですから、気候条件もさまざまです。「この気候条件のとき、自分のパフォーマンスはこうなる」ということをたくさん知っていると、リスクに対する読みが外れなくなるんです。

だから、あえて天候の荒い海でカヤックの練習をすることもありますよ。もちろん、自分の安全を保障できる範囲で。そうやって自分自身の性能と、海のことを徹底的に知ることが、僕の場合は保険になるのかなと思いますね。

――競技のトレーニングとは、全く違いそうです。

競技におけるトレーニングは、人に勝つためのものでしょう。勝つために鍛えて、何かの能力を特化させる。でも、その特化って生存には必要ないんです。

スピードが遅くても、技術がなくても、「自分が死なないサイズ」を知っておいて、そのサイズ以上の環境に身を置かないように段取りできれば、死にはしない訳ですから

――死なないように鍛える、とも違うんですね。あくまで、「自分の能力を知る」ことが大切。

もちろん、自分の能力が向上すれば死なないフィールドが増えるでしょう。でも、自分のポテンシャルを知らずに「俺は強いんだ」と思っていると危ない。自然のなかではただ強いだけだと、死んでしまうんです。

――海洋冒険だけでなく、あらゆることに当てはまることのように思えます。ちなみに、そんな八幡さんにとっても「想定外のこと」は起きますか?

もちろんあります。だからこそ現場で考える練習をしないといけない。

以前、陸地から遠い海の上で、大きな積乱雲に出会ってしまったことがありました。海の上にも雷が落ちるなかで、僕はカヤックの船体に沿うように体をかがめて、じっと耐えていました。

もし、急いで抜けようとオールで漕いでいたら、自分に雷が落ちていたかもしれない。結果論ですが、想定外のなかで正しい選択ができたわけです。

今まで積み上げてきた経験値と能力を駆使して、想定外の状況を把握し直す。そこからあたらしい答えを出して、想定外を越えるしかないんだと思います。

街で大切な保険は、「仲間をつくる」こと

現地の人の家で、料理を振る舞われる八幡さん

――お話を聞いていて、自分達の考える保険が「街の仕組みによって成り立つ保険」だったとわかりました。

多くの人は、把握しきれない物事への対策を、保険という仕組みに代わってもらってるんだと思います。

いま、世の中には不安な人が多いと思うんですよ。それは、目に見えないものが多すぎるから。世界のことはわからないけれど、お金を持つことで安心感を得てると思う。

魚をとり、木の実をとることで暮らす人々を見てきた

ただ、街の保険のことも、否定するつもりはありません。その人が自分で自分の暮らしを精査した結果、「東京や都市での生活をするなら保険に入ることは有効なんだ!」って判断ができるかもしれない。

僕も若い頃、いろんな人から心配されました。「将来は大丈夫なの?」「保険もなにもないじゃない」って。

でも、いまでは彼らが言ってた保険が「街の保険」だったと思うし、50歳になって振り返ると、自分なりの保険をつくってきた人生だったと思うんです。

――では、八幡さんはいわゆる保険商品としての保険には入っていない?

入っていません。もし自分が死んでも、「家族が死なないこと」が何かしらの形で担保されていればいいと思っているので。

だから、うちの場合は妻と子どもに「魚の獲り方」とか「どの植物は美味しく食べられるか」を教えているんですよ。「もしもお金が無くても、死なないんだ」ってことを教えているつもりです。

――お金以外のものでも、死なないための段取りはできるってことを伝えている。

そう。逗子に拠点をつくったときにまずやったのは、「自宅から半径3キロにある自然を全部知ってしまおう」ということ。それも、自分の子供だけじゃなくて、地域の子供たちにもワークショップのような形で伝えて。

自分の子供に教えるだけだと、もし何かあったときに自分の子供だけで生きていけない。人は社会的な生き物だから。

本当は「仲間をつくる」ということも保険になるはずなのに、今の核家族化や、都市部の地域に祭りとかが少ない現状が、つながりをつくることを難しくしてる。

だから、僕の思う街での保険は「仲間をつくること」だと思います。それも、実際に会える仲間を。

――助けてくれる仲間のことだったり、周囲の状況だったり、「自分のまわりのことをわかっている」という状態が、安全につながるんですね。

反対に、何事においても「把握できていない」状態が危険だと思うんです。それは「自分が何を目的として生きているのか」ということも。

冒険の世界って、普通は誰かが達成したら後続がどんどん出るものなんです。でも、海洋冒険にはそれがほとんどない。それは、海洋冒険が社会的な評価に繋がらないからだと思います。

社会からのリターンという意味では、海洋冒険はあまりにも見返りが少ない。だからこそ、自分の目的がわかってないと、他人の評価によって自分の目的がブレていくと思う。それは危ないことです。

自分の目的をわからないままにしていることは、「保険が効いていない状態」とも言えるかもしれません。それは、わからないものに投資していることと同じなので。

――なるほど。それは特に若い世代の人たちが、いままさに悩んでいるテーマかもしれません。

若い時に関しては、“よくわからないものに投資する”ような状態がいいこともありますけどね。考えて考えて前に進めないより、衝動的にやってしまうエネルギーが必要なのも、確かだと思います。

八幡さんが、冒険に出た理由

――八幡さんはそもそも、どういう動機で海洋航海の冒険をはじめたんでしょうか?

きっかけは、大学生のときに訪れた八丈島で素潜り漁師さんに出会ったことでした。それから、海と共に暮らす人々の文化や生活を知りたいと思うようになって。僕が思う「海の民」に会いにいくためには、カヤックしかなかった。

――文化や生活を知りたい……というと?

人間がどうやって生きているのかを、知りたかったんだと思います。街に住んでいると、お金があればなんとなく生きていけるじゃないですか。でも本来、お金なんて人間が作り出した、元々存在しなかった道具ですよね。

一方で、島で海と共に生きている人たちは、それとは違う価値観で暮らしている。

もちろん、街に近いところだと貨幣も流通しているんですが、だんだん奥に入っていくと、ある島ではお金が糧になっていなくて、「自然の恵みを自分で取ること」が生業になっている。その違いが、僕には面白いんです。

だから、多島エリアの海をずっと島伝いにカヤックで渡っていって、停泊した島の方々と現地で交流して……みたいなことをしていました。

――なるほど、街で暮らす自分達にとっては当たり前の文化でも、場所を変えれば当たり前でなくなるという。

タンニバル諸島・ヤムデナ島を旅した際の写真(2015年)

たとえば、「保険」って文化もそうですよね。「現地の人は保険とかどうしてるんだろう?」って思っても、保険なんか当然ないんですよ。じゃあ、無くても生きられる「保険」って概念はなんなんだろう? って。

水道がない島もあるけど、それでもみんな生きている。「じゃあ水道ってなんだっけ?」って。そうやって文化のことを考え直すのが楽しい。

――街にいると、水道のようなインフラがある前提で暮らしています。

そう。でも、都市ではそういう仕組みが整備されすぎて、間に何があるのかわからなくなっていると思うんです。昔に誰かが作ったシステムの上に生きているというか。

現地で出会った彼らも、僕たちと同じように小さな体で生まれて、成長して大きくなっていく。でも、そこにお金を媒介させていなくて、現地にあるものしか食べていないんです。

彼らは海で手に入れた食べ物を体に入れて、それが自分の細胞となって大きくなっていく。海のものが自分に移って入り込んでるだけだから、彼らは「自分は海なんだ」って言うんですよ。

――考え方が大きく違いますし、宗教観にも近いですね。

そういえば、こんなこともありました。

ニューギニアを旅していた時、ニューギニア人に相棒として一緒について来てもらったこともあって。荷物を預けていたら、行く先々で僕が持ってきていた物を勝手に人にあげてたんですよ。

「なんで!? 俺たちが食うものがないじゃん!」って言ったら、彼は「獲ればいいじゃん」って言うんです。考え方を教えてもらった、と思いました。

そういう人々の生活も聞いただけでは実感がないし、聞くだけじゃなく自分もその生活を体験したかった。だから、カヤックで現地に会いに行くと決めていたんです。

おわりに

シーカヤックひとつで海を渡ってきた自身の経験から、既存の保険システムを「街の保険」と定義した八幡さん。

彼が話してくれた「死なないために、どう段取りをするのか?」という問いかけには、普遍的な「保険論」のヒントが詰まっていました。

強ければ生き残るのではなく、状況を正しく把握し、生き残れる環境に身を置いたものが生き残る……という真理は、「強くなければいけない」という自己責任論とは少し違って聞こえます。

そこには、「生き残るための方法が、人の数だけ見つかるのではないか?」という希望が見えました。

連載「人生の冒険と保険」では、さまざまな職業の方々に話を聞くことで、多様な「保険観」を言葉にしてきました。

昔の船乗りたちが夜に浮かぶ星の位置を旅の指針にしたように、自分なりの「保険観」と人生を照らし合わせることで、少しだけ、挑戦がしやすい生き方ができるのかもしれません。

取材・執筆・編集 Huuuu
撮影 金本凛太朗

※この記事に記載の情報は公開日時点のものです。

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Huuuuはローカル、インターネット、カルチャーに強い編集の会社です。 わかりやすい言葉や価値観に依存せず「わからない=好奇心」を大切に、コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に全国47都道府県を行脚中。 企業理念は「人生のわからない、を増やす」。

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