「守るべき存在ができてリスク意識が芽生えた」三浦宗一郎さんが考える、人との出会いと保険の関係

「保険」という言葉に、あなたはどんなイメージを抱いていますか?
人生という冒険を歩んでいく上で、リスクを恐れず立ち向かうこと、そして万が一に備えて「保険」をかけることは重要です。各業界のトップランナーがいかにしてリスクと向き合ってきたのかを語る本企画。彼らの自由な発想が、あなたに合った保険との付き合い方を見つける一助になるかもしれません。

「大企業に入れば、安定した生活が送れる」という考え方があります。しかし、何を以て安定と捉えるかは、その人が人生において何を守りたいかによって変わるのかもしれません。

「選択格差を是正し、すべての若者が自分の人生を自分で選択できる未来をつくる」ことを理念に掲げる『ハッシャダイソーシャル』の共同代表を務める三浦宗一郎さんもまた、「大企業=安定」とは考えなかったひとりでした。

三浦さんのキャリアのスタートは、トヨタ自動車の工場員。彼は有名大手企業に入社し、高い給与と手厚い福利厚生を約束されながらも、不安を抱え、「自分は何も得ていないから、リスクや保険なんて考えたことがなかった」と無我夢中でチャレンジを続けてきました。チャレンジの先で人と出会い、新たなチャンスを掴み続けてきた三浦さんは、いまでは夢だった教育事業に携わっています。

しかし、転職後にパートナーや仕事仲間を得てから、リスクを意識し始めたという三浦さん。無謀なまでのチャレンジとともに人生を選択してきた彼は、どうしていま「リスクを感じる」ようになったのか。三浦さんのお話を聞いていくなかで、「人との出会いが保険になった」という彼の人生観が見えてきました。そしていま、彼は後輩たちに「人との出会い」をつくる立場にいるようです。

失うものがないからリスクなんてなかった

――三浦さんのご経歴を簡単に教えていただけますか?

中学校を卒業して、トヨタ工業学園に入学しました。そこは企業内訓練校といって、お給料をいただきながらトヨタで働くための勉強ができるんですよ。

本当は教師になりたかったんですけど、祖父の代から継いでいる実家の土木の会社がリーマンショックで潰れかけて、「うちにはもう金がないんだろうな」と子どもながらにわかっていたので。教師になることは一旦諦めた感じでした。それから、まだ世の中にどんな仕事があるかもよくわからなかったので、他にも道があるんじゃないかなと模索していて。

そんなときに、学校の先生から「トヨタ工業学園に行けば4月から給料をもらえるから、もしかしたら3年間貯めたお金で大学に行けるかもしれないよ」と教えてもらって。トヨタ工業学園を受験しました。

トヨタ工業学園卒業後は大学には行かず、トヨタの工場で3年間働いて、そのあとは、『ヤンキーインターン』などの活動を通して若者の就業・教育機会をつくっている教育系ベンチャーの「ハッシャダイ」に入社しました。2年前に社内ベンチャー「ハッシャダイソーシャル」を立ち上げて、今は、学歴や偏差値だけではない子どもたちの可能性を育むことを目的としたプロジェクト「project:ZENKAI(プロジェクトゼンカイ)」の運営に携わっています。

――大企業であるトヨタを辞めて、異業種のベンチャーであるハッシャダイに転職されたのは思い切りましたよね。何かきっかけとなるできごとはあったのでしょうか。

実を言うと、トヨタへの入社当時は、すごくしんどかったんですよ。トヨタ工業学園を卒業して、16歳のときに花形だと言われていた組み立ての部署に配属されたんですが、ウキウキしながら現場に行ったときの「この仕事を、ずっと続けるのかな?」という気持ちが今でも忘れられなくて。持っているものを失うことの怖さよりも、何も持っていないことへの焦りが強くあったので、会社を辞めることのリスクとか、「辞めてもこれがあれば食っていける」みたいな保険について考えたことがなかったんですよね。

――世間一般だと、大企業に所属できて、給料も良いならそれだけで「安定した生活を手に入れた」と思う人も多いと思います。三浦さんは、そうは思わなかった?

もちろんトヨタで働いていれば、安定した生活は送れるんですよ。寮の家賃もすごく安いですし、寮の食堂では500円あれば、お腹いっぱい食べられます。21歳のときには確か年収で370~380万円くらいはもらえていて、本当に良い環境ではありました。でも、その安定って自分がケガをしたり、会社が潰れたりしたら、安定とは言えないんじゃないかな? と思っていて。人生に安定なんてないという前提に立っていたので、不安定な人生を生きるには強くならなきゃという意識がものすごくありました。

――良い環境にいること=安定とは思わずに、会社がなくなっても生きられる力をつけておきたかったんですね。

はい。そのためには、今の生活以外の世界を知らなくちゃと思ったんです。そのときに思い浮かんだのが「旅」でした。中学生の頃にフィリピンの植林ツアーに行かせていただいたことがあって、「世界ってこんなに広いんだ」とか「今ある環境にしがみついて生きていかなくてもいいんだ」と思えたことが個人的には大きな経験で。

だからどれだけ仕事で疲れていても、知らない人と出会うためにお金を使っていました。いろんな人が「チャレンジしてるね」と言ってくれたんですけど、自分としては「いや、このままだとヤバい」という気持ちが強かったですね。

――三浦さんの場合は、「変わらない環境にずっといること」をリスクと捉えていたのかもしれないですね。ちなみに、数あるチャレンジの中でも最も大きな挑戦はどんなことでしたか?

一番大きな挑戦は、やっぱり会社を辞めたことですね。内閣府が行っている青年交流事業の「世界青年の船」に参加したことがきっかけでした。

もともと、トヨタに居続けるかどうかを入社してから3年でに決めようと思っていたんです。だから3年の間は、仕事も、仕事以外の活動もめちゃくちゃ頑張っていたんですよ。どうやったら、工場で働く人たちが楽しく働けるか、本当に試行錯誤しながら、自分なりに社内でもいろんなチャレンジをしていました。

そんなことをしているうちに気が付くと入社して2年が経っていて、あと1年しか残っていなくて。身の振りを決めないとと思ったタイミングで、ある友人からフィジー共和国に移住した永崎裕麻さんの本をもらったんです。その本に「世界青年の船」のことが書いてあって、これだ! と思い、ダメもとで申し込んだら受かりました。

三浦さんのご経歴が詳しく綴られているnoteの記事

選ばれるまでの経緯にも、船の上での生活にも、奇跡やご縁の連続があって、長い話になるので詳しくは僕のnoteを読んでほしいんですけど(笑)。とにかく「世界青年の船」の体験は、僕にとって素晴らしい経験になりました。一方で、帰国した翌日から、僕は工場のラインに入っているわけです。

「昨日までの日々は夢で、本当は”なかった”んじゃないか」という気持ちに押しつぶされそうになったとき、その体験を”あったこと”にしたいなと考えたんです。船の上で出会った素晴らしい人たちに「みんなのおかげで今がある」と言いたくて。お世話になったトヨタ自動車への恩を返したい気持ちもありましたが、半ば意地で辞めた感じでした。

決まっているのは、旅をすることだけ。世の中にどんな仕事があるのかもわからず、工場以外で活かせるスキルもない中で辞めてしまいました。今振り返ると、向こう見ずというか、すごいチャレンジだったなと思いますね。

――自分は何も持っていない、という気持ちが強かったからこそ、変化できるチャンスは逃さないというか。リスクや保険について考えなかったからこそ出来た選択だったかもしれませんね。

守りたいと思えるものができたら、リスクと保険の意識が芽生えた

――いま所属されているベンチャー企業「ハッシャダイ」に入社した経緯も、人に会いに行ったことがきっかけだとか。

そうなんです。これも今思えば無茶苦茶なんですけど……トヨタ自動車にいたころ、DMM.comの亀山会長に会いに行ったことがあるんです。当時、亀山会長のもとで学べる『DMMアカデミー』というスクールの一期生を募集されていて。工場作業員の自分が受かるためには「普通の方法じゃダメだ」と思って、アポも何もなしに直接会いに行ったら、亀山社長は会って下さって。「そういうやつも1人くらいいると思ってた」って(笑)。

その時、「今日俺のところに若いヤツが話に来るけど、お前も来たらどうだ」と夜の会食にお誘いいただいて。そこで出会ったのが、ハッシャダイの代表の久世さんだったんです。

――本当に、ものすごいエネルギーで突き進まれてきましたよね。自分の行動と人との出会いから、人生を選択して来られた感じがします。まさにリスクより行動をとって。

当時は無我夢中でしたけど、振り返ると恥ずかしいことはたくさんありますね。正直、人にすごいと言われたい気持ちがエネルギーになっていたことも否めないです。たぶん小さい頃から家庭の雰囲気がよくなくて、両親に自分をもっと見てほしいと思ってきたことに端を発しているんだろうなと思います。今思えば「承認欲求のおばけ」でした。

――すさまじいエネルギーの源は、承認欲求だったんですね。

でも、いまの自分にはそういうエネルギーはないんです。

自分にとって大切にしたいと思える人ができたり、社内ベンチャーを立ち上げたりしたことで、人から認められたい気持ちは昇華されきったなと感じています。いいタイミングでいい人たちに出会えて、「利己」から「利他」のエンジンへと乗せ換えてくれたというか。

少し前までは、自分の発信=承認欲求という感じだったけど、今は、「利他になるのであれば、利己的に見えることもやろう」という考え方、メンバーや大切な人のために必要ならやる、という考えに変わりました。

――考え方が大きく変わりましたね。では、リスクや保険への考え方も変わったのではないですか?

今は、リスクをものすごく意識するようになりました。ミスチルの『HERO』という曲に、「例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ」とか「愛すべきたくさんの人たちが僕を臆病者に変えてしまったんだ」という歌詞があって、以前は意味がぜんぜんわからなかったんですよ。でも、今はすごくわかるような気がします。

昔は「世界のヒーロー」になりたかったから、無茶なことでもなんでもやっていたかもしれない。でも今は、何を決めるにしても、自分のやりたい気持ちやワクワクと、リスクとを天秤にかけるようになりました。そういう意味では、承認欲求で動いてたときのほうがよっぽど楽だったと思います。

――守るべき人たちが出来て、無謀なチャレンジはしづらくなったと。

ただ、リスクを感じるようになったから「攻め」がなくなった訳ではなくて。

このことはハッシャダイの創業当時から在籍している勝山にも言えることで、彼は最後の踏ん張りがめちゃくちゃ効くんですよ。もうダメかなと思うタイミングでも「もう1回営業かけてみよう」とか「まだ行ける」とか。

なんでかと考えてみると、勝山は僕と同じ27歳なんですけど、子どもが3人いるんですよね。自分がやりたい夢やビジョンだけじゃなくて、家族を食べさせていかなきゃいけないっていうシンプルな理由が、粘り強さにつながっている気がしていて。「愛すべき人がいるから人は強くなれる」という感覚は、勝山と一緒にいることで強く感じますね。

――家族がいることは「人生の保険」と言えそうですか?

家族という守るべき存在があるから頑張れるという意味では、「攻め」の保険になると思います。僕の場合は、パートナーもメンバーも「チャレンジしろ」と背中を押してくれるし、ダメだったときのセーフティーネットになってくれる人がいると安心して挑戦できますよね。

以前レンタカーを擦ったことがあるのですが、保険に入っていたから冷静でいられたんですよ。保険に入っている安心感のおかげで、一緒に乗っていた人との楽しい時間を台無しにせずに済んだし、保険って周囲の大事な人を悲しませないようにする意味合いもあるなと感じます。「黙って俺についてこい」と言えるのは、保険があるからですよね(笑)。

反対に、悪い誘いや危険な出来事に出くわしそうになっても「家族がいるから」と、危険や誘惑から一線を引ける意味では「守り」の保険でもあるなと思います。家族が互いに支え合う関係性でいられることも、保険になっているし。

人とのつながりは「保険」になる

――お話を伺っていると、人との出会いが三浦さんに大きな影響を与えてきたんだと感じます。パートナーやメンバーがいることで、三浦さん自身のリスクの取り方や行動の指針も変わる。もしも自分が迷って間違った選択をしそうになっても、「仲間を思い出せば正しい決断ができる」というのは、保険になっていると感じます。

そうですね。パートナーやメンバーに限らず、両親や旅で出会った人、学校の先生たちも含めて、これまで出会ってきた人が、今の僕や環境をつくってきてくれていると感じます。

札幌でシェルターを運営している、株式会社PLOWの神輝哉(じんてるや)さんと高校生向けのイベントで講演させていただく機会があったのですが、神さんが「シェルターに駆け込む人たちに共通しているのは、どうしようもなくなったときに連絡できる人が誰もいないことだ」と仰っていて。

実際に利用できる制度があるとしても、追い詰められたときは考える余裕もなくなるから「『助けて』と一言言える人が一人でもいればいいよ」と、「強いつながりである必要ではなくて、俺でもいいよ」とも言っていて、それを聞いたときに亡くなってしまった友人のことを思い出しました。

――少し、詳しく聞かせていただいてもいいでしょうか。

昔からよく遊んでいた友達が、家庭の事情や本当にいろいろなことが重なって孤立してしまい、20歳になる前に自ら命を絶ってしまったんですね。一方で、僕は紆余曲折ありつつも、今こうして、良いメンバーと一緒に仕事ができている。

その違いはなんだろうと考えたときに、まず生まれ育った環境だけなんです。それって僕の努力だけではなくて、「運」の部分が大きいなと思ったんです。

――かつて思っていた「このままじゃいけない」というところから三浦さんは大きく環境を変えたけれど、それは出会いのおかげだったと。

いろんな人に”たまたま”出会えたおかげで今があるなら、その「運」を他の人に渡していくノーブレスオブリージュ(※)のような活動をしていきたいと感じています。

※19世紀にフランスで生まれた言葉で、社会的な地位や財力、権力を持っているものはそれ相応の社会的責任や義務を負うという道徳観のこと。ここでは、機会に恵まれた三浦さんが、下の世代への機会づくりを担おうとしている決意の表現として使用している。

僕の団体で15~18歳向けに展開している「project:ZENKAI」は、10代の子どもたちが自らの可能性を信じ、生きていくためのプロジェクトです。これも教育というよりは、蜘蛛の巣のようなネットワークを提供する気持ちでやっているんですよね。自分の可能性を信じてくれる大人を、子どもたちの周りに一人でも、増やしていきたい。

自分達が学生と関わることで、子どもたちと社会の間にいままでなかったつながりが生まれるといい。

――三浦さんがこれまで手に入れてきた「人との出会い」が、下の世代にも受け継がれていくんですね。

まさに、そうかもしれません。「人との出会いが保険になった」っていう自分の経験と、その出会いを、下の世代に渡しているのかも。

自分達も社会にいるいろんな人との出会いでここまで来たから、大人が「とりあえず保険には入っとけよ」って言うみたいに「とりあえず、プロジェクト参加してみたら?」って言いたいですね。

――ありがとうございます。最後に、これからやってみたいことは何かありますか?

僕は、すべての人が、自分の人生を自分で選択できて、元気に生きられる社会をつくりたいです。そのためには、社会がもっと子どもたちの可能性を信じて、お金と時間をかけていく必要があるし、それが自然とできる環境をつくっていく必要がある。

本当にたくさんの仲間・支援者のおかげで、今、ハッシャダイソーシャルとして、やれることも増えてきました。でも、やれていないことがたくさんあることも、やればやるほど、痛感しています。

目の前のことに全力を注ぎつつ、もっと、もっと、数多くの多様な子どもたちが、自らの可能性を信じ、発揮することができる機会を生み出し続けたいです。

おわりに

取材の中で、三浦さんが人との出会いがもたらす可能性について何度もお話されていたことが印象的でした。あるときは違う世界を見せてくれる窓となり、あるときは挑戦するための追い風となり、あるときはセーフティーネットにもなる人との出会い。こうして考えてみると、人との出会いと保険は重なり合う部分が多いことがわかります。

しかし、人との出会いはご縁とも言うように、必ずしも努力で培えるものではありません。そうした「運」は三浦さんによって手渡され、この社会に少しずつ張り巡らされていくでしょう。

取材・編集 Huuuu
構成 佐々木ののか
撮影 小林直博

※この記事に記載の情報は公開日時点のものです。

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WRITER'S PROFILE
Huuuu
Huuuuはローカル、インターネット、カルチャーに強い編集の会社です。 わかりやすい言葉や価値観に依存せず「わからない=好奇心」を大切に、コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に全国47都道府県を行脚中。 企業理念は「人生のわからない、を増やす」。

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