特集

2022.07.27

マキタスポーツさん、山梨の文化「無尽」ってなんですか? それは、地域に根ざす人を孤独にしないための、面倒で優しい仕組み

山梨に古くから伝わる文化、「無尽(むじん)」。かつては山梨以外の地域にも存在した、民間の金融制度です。仲間同士で積み立てを行い、お互いの生活を支え合うための制度であり、いわば現代の「保険」制度に通じるものがあります。

近年では、飲み会や旅行といった仲間内の娯楽のための積み立ても行われており、山梨県で暮らす人々にとっては非常に身近な「無尽」。ただ、山梨県外の人からすると、馴染みがなく、その利点はわかりにくいかもしれません。

そこで今回は、山梨出身で現在「無尽」を広める活動を様々なメディア、イベントで行っているマキタスポーツさんに、お話を伺いました。

そこから見えてきたのは、地域に根ざす人のため残るべくして残った、互助として機能する無尽の在り方でした。そして、山に囲まれ、コミュニティの限られた山梨県民にとって必要だった互助は「お互いを孤独にしないこと」。そこには都市部でのライトなご近所付き合いとは違う、閉鎖性と親密性が背中合わせになった「山梨」の姿が浮かび上がります。

その土地で暮らす人たちはいかにして結束し、お互いを見守るために、無尽を解釈し、利用しているのでしょうか。ほかにも、上京とコミュニティ、SNS、山梨県のこれから……様々なトピックを、「孤独にしないための仕組み」としての無尽を起点に、論じていただきます。

山梨の文化「無尽」ってなに?

――マキタさん、そもそも「無尽」ってなんなんですか? 山梨で育った経験のない人間からすると、概要を聞いてもうまく理解できなくて。

これはあくまで僕の解釈ですけど、「無尽」は互助会(※)的なものであり、原始金融制度みたいなもの。積み立てている人たちで集まる機会が多いので、お互いに見守る習慣ができて、地域の秩序が保たれるんです。
※冠婚葬祭のためにお金を積み立てるための組織

山梨では、「今日お父さんいないの?」「ああ、今日は無尽だからね」なんて会話が普通に飛び交ってるんですよ。みんなでお金を積み立てて飲み会や寄り合いをすることも「無尽」って呼ぶんです。けど、本来はお金というよりも、気持ち的な交流の側面が強いです。山梨に住んでいたら大抵、最低でもひとつは無尽に入ってますね。

――山梨の人たちはどのように「無尽」に関わっていくのですか?

山梨はまず、「隣組制度(地方官庁、町内会を通じて連帯責任制のもと統制を行う制度)」のような仕組みがまだ根付いているんです。たとえば地域で誰かが亡くなるとするじゃないですか。すると属している「組」の人たちが率先して葬式を手伝ってくれます。

例えば僕の場合、両親が山梨で亡くなったんですよ。東京から山梨へ行って葬式をするにしても、まずは隣組の組長さんに一報を入れるんです。ちゃんとご挨拶することで、地域のいろんな手配をしてくれて、葬式の段取りとかをしてくれるので。

「このたびはすみません、よろしくお願いします」ってきちんと言っておけば、「当然だよ、こういうのは組の仕事だもん」って言ってくれます。けれど、もし挨拶もせずにさも当たり前みたいに振る舞ってたら、「あいつは東京に魂売った」って言われちゃう(笑)。

組にも「無尽」があります。それ以外にも、山梨の中で何かしらのコミュニティに属せばそこにも「無尽」はあるでしょうし、地域に根ざせば根ざすほどいくつかの「無尽」に関わることになるんです。

――暮らしのいたるところに、無尽が存在しているんですね。

山梨以外の人は「無尽っていうのがあるよね」って言うけど、山梨で生まれ育った人たちは特別に意識してはいないと思いますよ。対象化することすら難しいほど、当たり前すぎて疑問を持ちようがないというか。

それくらい山梨には当たり前に「無尽」が存在している。

地域に根ざすことの責任と使命を持った瞬間から、濃いコミュニケーションをして、結束を強める必要がある。そのために「無尽」があるのかもしれないですね。

――地域の人たちで結束して生きていくために「無尽」があると。

限られた土地の中だけで生きていると、情報が遮断される部分があるじゃないですか。特に山梨は盆地ということで、そういう性質がある土地。なので、地域の人間だけで生きていけるように「無尽」を残してきたところはあると思うんですよね。

もしかしたら、はみ出すものを絶対に許さない、排他的な監視社会のように感じるかもしれません。でも、結束が強固だから、一度その中に入れば死なない。心身ともに無事であることを確認し合うから、孤独にならない。

若い人たちの無尽だったら、「あいつ、今なんか変なモンにハマっちゃってるらしいぜ」みたいに日頃から見守り合っている。だからこそ食い止められるようなこともあります。お年寄りであれば、会う約束が定期的につくれるから、常に生存確認ができる。これって、ほっとかれない、優しい世界とも言えるんじゃないかな。

お金を積み立てる仕組みではあるけど、心の結束としての意義が大きい。山梨の人たちはそうした価値を感じて、「無尽」を手放すことなく、残してきたんじゃないかと思いますね。

――「無尽」は何か起こる前の抑止力が働くようなものなんですかね。

そうですね。僕も一家の主なんで保険には入ってますけど、それは何かがあったときのための備え。それに対して、「無尽」はいわば「転ばぬ先の杖」みたいなものだと思います。

東京の孤独を解決するカギは「無尽」にある?

――たとえば、東京で暮らす中で孤独を感じて「ほっとかれない」状態を求める人はけっこういるんじゃないかと思うんですよね。

そうでしょうね。東京の半分は地方人の集まりだと思うんですよ。

元々そういう強い結びつきの共同体から出てきたような人は、最初は因習から抜け出したかった気持ちもあると思います。それこそ無尽のような密接な慣習や、隣近所の付き合いとかね。東京に来て、気楽さを謳歌するだろうけど、その反面でさみしさを感じる。僕もまさしくそうでしたから。

――どんなときにさみしさを感じましたか?

東京に出てきたとき、最初に感じたインパクトが「みんなが僕のことを知らない」ってことだったんですよね。田舎でもちょっとお山の大将気取りだったし。地元なら「マキタスポーツ店の次男坊」とかタグが最初から付いているから。考えてみたら、ゼロから人間関係を築いたことがないって気づいたんですよ。

――みんながみんな、お互いのことを知っているのが当たり前なんですね。

そう。なんならこっちは相手のことを知らなくても、相手は自分のことを知ってるような。閉じられた環境で楽をしていたんですよね。それで東京に出てきたら誰も自分に見向きしない。

大学に入ったら当然、ゼロから始めなきゃならない。でもそのための言葉を持っていなくて、方言をつっこまれたりもする。そういう壁にぶつかって、5月には大学に行かなくなっちゃったんですよね。それから半年くらいひきこもりみたいな暮らしをしていました。

――引きこもり……! それからどうしたんですか?

だんだん「このままじゃまずい」と思うようになって、まずはアルバイトを始めたんです。アルバイト先って、そのコミュニティ内だけで使われているような言葉があるじゃないですか。そういうのを積極的に使うようにすることで、すぐに仲間だと認めてもらえるようになりました。

共通言語を使うことによって、仲間意識が生まれるんですよね。大学は大学で、そっちの共通言語を覚えました。言葉を道具として使えば、コミュニティをいくつか渡り歩けることがわかったんです。そうして第三言語みたいなものを習得して、属するコミュニティを広げていった実感があります。

――あくまで世渡りのための道具としての第三言語を習得したんですね。

そうですね。第一言語である山梨の言葉が通じない、どこか自分の心でしゃべっていないような、さみしさを感じていた気がします。同じように地方から出てきて、埋まらない穴のようなさみしさを感じている人は多いんじゃないでしょうか。

――都会で埋まらない穴を埋めるためには、どうしたらいいのでしょうか。

たとえばスナックって「疑似田舎」みたいなものだと思うんですよね。常連が多くて、店の中での関係値があると、濃い閉鎖的な空間になるじゃないですか。そういう場で埋める方法はあると思います。しかも店員や客同士の仲の良さによっては、みんなでゴルフや旅行に行くために釣り銭の積み立てとかもしてるんですよね。それってもう、「無尽」じゃないですか。

――「言われてみれば無尽だな」みたいなものは、世の中にたくさんあるのかもしれませんね。

そうそう。僕はフェイスブックも「無尽」っぽいなと思っていて。自分が何か投稿した瞬間に「いいね」付けてくれる人っているでしょう。それって、見守られているという意味ですごく無尽的。コメントくれた人ひとりに「いいね」を付けたら、他の人にも付けなきゃいけないような気持ちになるのとかも。

――SNSを見渡してみると、その印象はありますね。

「無尽」っていうのは、リアルな場でのSNSでもあるわけですよ。オンライン上じゃないだけの話。リアルにもネットにもSNSがあるみたいなものだから、山梨の若者はハイブリッドな存在になるんじゃないですかね。複数の顔を持ちながら情報を扱うことに対しての潜在能力が、「無尽」の存在によって備わっているから。

「無尽」を拡大解釈して山梨から幸福度を高める

――マキタさんは「無尽」を拡大解釈してムーブメント化しようとされているようですが、なぜその考えに至ったんですか?

山梨でテレビのレギュラー番組(『マキタ係長』(YBS山梨放送))を持って、何か地元の山梨に貢献できないかなと思ったんですよね。それで「無尽」を拡大解釈して、「大無尽」という名のフェスにしてしまおうという考えに至りました。

山梨もご多聞に漏れず田舎なので、ショッピングモールができると、みんなそこに集まっちゃうわけです。いわば、山梨っていうドメスティックな環境においての外資なわけですよ。なので、雇用も生まれるし、消費が生まれることで活性化することはあるかもしれませんけど、自力で何かを生んでいるわけではない。そうじゃなくて、もっと山梨の中でできないかなと。

「大無尽」の先駆けとして昨年12月に行われた「NEO無尽」

山梨の人たちが中心になって、人材や技術の魅力を発信していく。ものづくりをしている人もいるし、個人で発信力を持っている人もいる。そういう人たちが山梨の人同士でコラボレーションすることもあるでしょう。昔からの無尽文化で連帯力を持っている山梨県民がそういう場で連帯すれば、「なんか山梨って面白いことしてるぞ」って広がるんじゃないかと思っているんです。

――「無尽」文化を山梨から広げていくと。

山梨がよりよくなれば、日本全体もよりよくなると思っているんですよね。自分の技術や人脈が誰かの役に立つことによって、自分がそこに欠くことができないパーツになっている自覚を持つ。大きくお金を稼ぐとかよりも、自分が貢献して、役に立っているという充実度こそが、幸福度を上げるために大切なことなんじゃないかと僕は思ってるんです。

まずは山梨の中でその幸福度を上げて、「山梨の人たちってなんでみんなニコニコしてるんだろう?」なんて、県外の人たちから思われるようになったらいいなって。そのために僕は「大無尽」をやりたいし、山梨の「無尽」という文化を発展・継続させていきたいですね。

山梨の人たちって、すぐ「(山梨には)なんにもないよ」って言うんです。なんにもないのになんで暮らせてるのかって話じゃないですか。確かに都会に比べれば娯楽は少ないですし、観光地に関してもそんなに豊富じゃないですよ。

でも「なんにもない」って対外的に言うのはそういうことじゃなくて、目に見えるそういうものがなくたって、安心安全に、平穏に暮らしていけるってこと。情愛に恵まれた社会だと思ってるってことだと思うんですよね。

まあ、山梨の人以外から「本当になんにもないね」とか言われたら、めちゃくちゃ怒りますけどね(笑)。

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ライター:鈴木梢
撮影:赤羽佑樹
スタイリスト:小林洋治郎(Yolken)
ヘアメイク:永瀬多壱(VANITÈS)

※この記事に記載の情報は公開日時点のものです。

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Huuuuはローカル、インターネット、カルチャーに強い編集の会社です。 わかりやすい言葉や価値観に依存せず「わからない=好奇心」を大切に、コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に全国47都道府県を行脚中。 企業理念は「人生のわからない、を増やす」。

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