特集
2023.03.02
これから先もどうせ激動。「弾力ある暮らし」でやり過ごしたい|ポスト・ホケニズムの生活考
著:ヤマザキOKコンピュータ
絵:あけたらしろめ
当連載の初回にも書いた通り、我々の生きる世は混迷を極めに極め、日々新時代へと突入し続けている。しかしこれは今に始まった事ではない。日本経済新聞のバックナンバーを辿ると、1964年9月にはすでに以下の記述が確認できる。
「いよいよ日本経済は先の見えない時代に突入したという感がある。今こそ激動の時代だという認識が必要だ。これまでのやり方はもはや通用しない」
当時の日本は、さまざまな法改正や産業技術の導入により、急速な近代化が進んでいた。街には高層ビルが建ち始め、新幹線も開通した。市民の暮らしは大きな変革の最中にあり、紛れもなく「激動の時代」だったと言えるだろう。
しかし、その後も激動の時代は続いていく。70年代はニクソンショックと、2度のオイルショック。80年代に発生したバブル経済はたった5年余りで崩壊し、代わりにIT革命がやってきた。2000年代は同時多発テロやリーマンショックといった深刻な事件も数多く、生活の安全まで揺るがされる事態となった。
きっと100年前も、1000年前も、この世界はいつだって「激動」だった。どうせ今後も続くに違いない。
以上を踏まえた上で、当連載では「激動」という謎多きエネルギー波から我々の生活を守る「保険」について考察してきた。ここで言う「保険」とは、医療保険や損害保険のことではなく、それらでカバーしきれない多種多様なリスクに備えるための「オルタナティブな保険」である。
その一例として紹介したのが「資産運用」や「移住」といった選択肢だ。どちらもリスク分散の考えに基づいた提案であり、単なる財テクや節約術に終始しない。とはいえ、これらはあくまで「いま使えるテクニック」の一つにすぎない。
これから先もどうせ社会は激動を続けるわけで、その度に我々は一喜一憂するだろう。それはもうある程度仕方ないとして、激動の渦中でも豊かな生活を守りながらやり過ごせたらそれで良い。
連載最終回となる今回は、テクニックではなく、より根幹にある精神的な部分について考えてみたい。我々、ポスト・ホケニストにとって最も必要な要素とは、何なのだろうか。
ポスト・ホケニストに必要な力は「しなやかさ」
ポスト・ホケニストにとって最も重要なもの。それは「しなやかさ」ではないだろうか。
結論を出すのが早すぎたかもしれない。最後まで読んでもらえるか不安だが、このまま進めてみよう。
しなやかな資産、しなやかな暮らしなど、この連載には「しなやか」という形容動詞が、度々登場してきた。しなやかと辞書で引いてみると「弾力があって滑らかなさま」とある。
しなやかと言えば、私は五重塔を思い浮かべる。奈良の法隆寺境内にある五重塔は創建から1300年以上、一度も倒れたことがない。地震が多発する日本にありながらこれほど長く立ち続けている理由は、構造のしなやかさにある。
日本の古い塔状建築は、振動に対して単純な硬度で抗う「耐震構造」ではなく、揺れながらエネルギーを吸収して相殺する「制振構造」によって造られている。ちなみに、東京スカイツリーも制振構造を取り入れた設計になっている。
よく揺れるこの国では、長いものほどしなやかな弾力が求められる。これは平均寿命が伸びに伸びまくった我々の人生においても同じことが言えるのではないだろうか。
先の見えない時代での備え方
冒頭の日本経済新聞からの引用文にもある通り、我々はいよいよ先の見えない時代を生きている。仮に、今後の社会動向を予測できるプログラムが開発されたとしても、予測結果を受けた人々がそれぞれの目論みに則って儲けようとしたり、危険を避けようとしたりなど、何らかの行動を起こすことによって、必ずズレが発生する。
技術革新が進んだとしても、先を見通せる時代などやってこない。だとしたら我々にできる努力と言えば、「丈夫な備えを作ること」や「現場対応力を鍛えること」くらいしかない。
一般に備えと言えば、銀行預金や保険、生活基盤の強化など、資産を集めてガチガチに固めていくのが定石だが、過去の回でも解説した通り、固さと脆さは紙一重。何か一つに頼り切るのは危険である。
国外まで分散された資産を作る、移住や転職で人生の逃げ道を確保するなど、幅広い備えを利用して、人生に弾力を持たせていく必要がある。
美徳も道徳も、変わり続けてきた
現代では「働き者」や「社会に価値を生み出すことができる人物」が讃えられる。しかし、古代ローマでは勇敢な者が、古代ギリシャでは義務を果たす者が、賛美された。何ならイギリスの貴族階級は働くことを恥じていたし、アリストテレスは「仕事よりも余暇こそが人間の崇高な使命である」と考えていた。
こうして歴史を辿ってみると、働くことが美徳とされるようになったのはごく最近のように思える。100年後の人類からしてみれば、「21世紀は労働が流行っていたらしい」という程度の、ちょっとした流行にすぎないのかもしれない。
しかし、この労働ブームの最中に生まれ落ちた私たちは、時代の価値観を当たり前に受け入れて、まるで普遍的なもののように感じてしまう。「美徳」はいつだって完成品のような顔をしているが、上述の通り、時代に合わせて常に更新されてきた。
当然、これから先も変わり続けるだろう。環境問題や社会問題が積もりに積もり、新しい社会の形が求められている昨今、何がどうひっくり返るかはわからない。
「多角的な視点」を持つこと
毎年のように、一部の政治家や経営者などによる差別発言が話題に上る。心ない言葉で傷付く人がいることを見落とす「視野の狭さ」も問題だが、真に根深いのは、自分以外の立場に立って物事を考えられない「視点の少なさ」だと感じている。
相手の視点に立って考えることができない限り、本質的な反省はない。その場しのぎの謝罪でやり過ごしては、また同じ過ちを繰り返し、時代に取り残されてしまう。「時代に取り残される」とは、流行についていけないことではない。自分が見ている世界を正しいと信じて疑わず、新たな価値観をインストールできないことだ。
例えば、「勇敢」を美徳とする古代ローマ人の生き方は、現代人からするときっと無謀で粗暴に見えるだろう。同様に、中世の「気高い」貴族は、怠惰で傲慢に映るかもしれない。
明日は我が身だ。加速する激動の中で、私たちも近い将来、古代人になってしまう。日本の社会規範は、ここ数年だけでも大きく転換したように感じる。大手メディアのコンプライアンス方針だけでなく、個人のSNSの使い方まで、さまざまな視点での意見が共有され、日々変化を続けている。
こういった状況を窮屈と感じる人もいるが、私はかなりポジティブに捉えている。
生まれ落ちたときに叩き込まれたルールブックは、日に日に古くなっていく。時代の変化に合わせて、その都度ルールブックを読み直し、自分の生き方を編み直さなければならない。ルールブックの更新は簡単なことではない。かなり面倒だし、知らない言葉もたくさん出てきて頭も使う。
しかし、新しい感覚を織り混ぜて練り直し、この頭に染み付いたルールブックを書き換える力こそが、我々ポスト・ホケニストに必要な「精神的なしなやかさ」ではないだろうか。私もこれから先、40、50と歳を重ねていくならば、感性が少しずつ古くなり、社会とのズレが露わになる機会も増えるだろう。それでも心に弾力さえあれば、何度でもやり直すことができるはずだ。
戻れないほどに自分をガチガチに固めてしまっては、やり直しが効かなくなる。私は世の中のエネルギーを適度に吸収しながら、末長く立ち続けられる五重塔のような存在でありたい。
豊かな暮らしは、人生の弾力を増す
ここまで長々と書いてきたが、実のところ、あまり難しく考えなくても良いのかもしれない。他者と真剣に向き合うことや、素晴らしいコンテンツに出会うこと、仕事や生活を楽しむことなど。日々、心身に豊かな暮らしを送ることで、私たちの感覚は自動的にアップデートされていく。
その中で、さまざまな視点を見逃さず、自分に取り入れるよう心がけていけば、心の弾力は絶えず増していくことだろう。
心の弾力は、生活のしなやかさにも直結する。
私たちの生まれ落ちた社会はあまりに複雑な形をしているが、決して完成されているわけではない。よく生きるためには捨ててしまったほうが良いような、稚拙な常識もインプットされていることだろう。
また、複雑怪奇な社会構造の中で、不安に押し潰されそうになる瞬間も少なくない。しかし将来の不安に対抗できるのは貯金や保険だけではないということを忘れてはならない。視野を広げ、視点を増やし、2Dの視界を3Dにも4Dにも拡張して、自分の人生にしか使えない新しい保険を作れば良い。
守りに徹し、不安に怯えて暮らすのではなく、日々を楽しみながら、弾力あるしなやかな暮らしを組み立てていく。それが我々、ポスト・ホケニストのやり方だ。たとえ先の見えない世の中でも、私は豊かに暮らすことを肯定する。
第1回〈「保険要る要らない論争」からの脱出〉
第2回〈貯金さえあれば安心か? 貯金主義の危険性〉
第3回〈脱・一発逆転。「リスク」は世界中に分けて、散らばらせる〉
第4回〈定住でも、放浪でもない。古代人類に学ぶ「半遊動生活」のすすめ〉
第5回〈移住は考察から。統計データとハザードマップで暮らしを読み解く〉
WRITER’S PROFILE
Huuuu
Huuuuはローカル、インターネット、カルチャーに強い編集の会社です。 わかりやすい言葉や価値観に依存せず「わからない=好奇心」を大切に、コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に全国47都道府県を行脚中。 企業理念は「人生のわからない、を増やす」。